チェリーネネ🍒さんの感想、レビュー
チェリーネネ🍒
少しの生きづらさを感じる中高生の物語。 私は特に汐見夏衛さんの物語が好きだった。 「頑張るのは辛くない。頑張りを認めてくれないことが辛い」という泉水の思いに共感した。 頑張っていても、いつの間にか他の人の期待に押されて、いつしか頑張る目的を忘れてしまうことはある。 お母さんが「花丸」をあげるシーンは、少し泣いてしまった。
汐見夏衛、けんご、夏目はるの、天野つばめ、春登あき、春田陽菜
映画の情報を知って、興味を持って読んだ本。 スマホなどを使わない、ある意味古風な、恋愛模様を描いた作品。 映画の予告映像はとても美しくて、文体もそんな感じかな?と思って読んだら意外とそうでもなく、関西弁も出てきながらのテンポの良い文章だった。 最後の展開は、読めるようで読めなかった。切ない。幸せになってほしいな、と思った。
ビートたけし
「電子書籍化不可」という言葉をあちこちで聞いて、ずっと気になっていた一冊。読んでみて、その意味に納得。感動した。 私は、本当にラスト、全てが明かされるまで気が付かなかったのだが、気がついてから慌てて見返して、驚いた。 他の人の考察を見て、最後の『』が後書きに重なっているということを知り、ますます感動。 「世界で一番透き通った物語」この意味は、読んでみないと分からない。 作者の方や編集の方の、努力と労力に感服です。
杉井 光
とある町の活版印刷所と、そこを訪れる人々の心温まる物語。 印刷の歴史など、勉強になる部分も多かった。また、歴史あるものだからこその、人間関係だったり、美しさだったり、なんだか「綺麗な物語だな」と感じた。
ほしおさなえ
どちらも人と関わることが苦手なみのりと悟。2人は高校で、「絵」を橋渡しにして出会う。 印象に残ったフレーズ 「もしかしたら、テッセイは、母さんやおじいちゃんが言うように、ただの”負け犬”じゃないかもしれない。死ぬまで、好きなことをやり続けた一途な男なのかもしれない」 その時々の感情だったり、その人との関係性によって、人の見え方というのは全く変わってしまうのだと思う。テッセイも、通ちゃんも、決して真っ当な大人とは言えないけれど、でもその人の中に、はっきりとした「軸」があるのだな、と感じた。 また、角田光代さんの解説にも、なるほど、と思った。私は読み終わった時、みのりと悟を成長させ、今の形を作ったのはテッセイや通ちゃんの存在だと思っていた。しかし、よく考えたら、彼らを成長させたのは、彼ら自身に他ならないと思った。その気持ちを代弁してくれたのが、解説者の考え方だった。彼ら自身が、自分の「軸」を作り上げ、それに色をつけたのが、みのりからしたら悟で、悟からしたらみのりだった。 青春のこの時期特有の生きづらさを、みずみずしい文体で、等身大で描いた名著だと思う。
佐藤多佳子
天寿を全うして、黄泉の国に行った猫、ふー太。ふー太が見つけた「伝言猫」のバイトは、5回仕事を成功させると、伝言猫自身も会いたい人に会えるという報酬つきのバイトだった。 虹子さんの店に届くハガキは本当に多種多様で、それぞれ会いたい人を胸の内に秘めているのだな、と思った。それぞれ「会いたくても会えない人」というのが多くて、「後悔」を抱えて生きている人が多いのだと思う。 大切な人と一緒に過ごせる時間は有限だから、伝えたいことはきちんと伝えないといけないな、と思った。
標野 凪
「自殺」をテーマにした作品。自分を大切に、でも相手を大切にすることが大切だと思わされた。 印象に残ったフレーズとしてはなし。ただ、この本の考え方としてあった「人間なんてみんなみんなちっぽけで無力で、いてもいなくても世界に大した影響なんて及ぼさない、些末な存在なんだ」というものには共感した。 登場人物の薊は、この考え方のもと、「人の命(死)を生きている者の想いだけで推測って価値づけるのは傲慢だ」と主張していた。 それも理解できるけれど、私はあえて、「人の生死なんて、世界規模の危機を及ぼすわけではないので、ある程度自己中に生きても良い」と解釈したい。 あまりにも迷惑をかけるのは良くないが、ある程度「普通」にとらわれずに生きても良いのではないかな、と思った。
汐見 夏衛
剣道界では「神童」。でも、人間関係にとことん不器用で、そのうちに祖父の死を機にして竹刀を握れなくなってしまった。そんな彼が出会ったのは、「槍道」、槍で戦う競技だった。 印象に残ったフレーズ 「たぶん、夢のじいちゃんにそう言わせていたのは、僕の心なんだと思う。あれはきっと、自分自身の心の声」 自分の気持ちとは、本当に大切なのだな、と思った。時に原動力となって自分を突き動かしてくれるけれど、時に自分を縛り付け、夢にまで出てきて呪ってくる。 だからこそ、自分の声に耳を傾け、自分が一番、自分の「可能性」を信じてあげないといけないと思う。 天沢さんの作品は、「青春感」がある。人物の会話の一つ一つがキラキラした雰囲気に包まれていて、こんな青春を送りたい!と羨ましくなる。
天沢 夏月
印象に残ったフレーズ 「七月七日まであと一週間だった。その日が来て欲しくないほど、それを待つことが愉快だった」 その日を「待つこと」自体が楽しく思えるほどに楽しみなことがある経験は、誰しもあるものだと思うから、とても共感した。その出来事が本当に楽しみだと、待つこと自体がものすごく楽しい。 本としては、とても「人にお薦めしたい」と思える作品だった。その理由は主に3つあって、 一つ目は、文体の良さだ。ストーリー自体は、解説の島本理生も言っていたように古くから「よくある」ものだ。でも、この中村さんの文章のテンポ感や表現で、他の作品とは全然違う、唯一無二の世界観を作り出している。 二つ目は、二人の関係性だ。青春の甘い関係でもなく、かといってドロドロしているわけでもない二人の関係性が、好きだ。特に、作中に出ていた「コーヒーと牛乳が混ざっていつのまにかカフェオレになる」ような、自然と溶け合ってしまうような関係性が理想的だと思った。 三つ目は、主人公、藤井くんの心情の変化の良さだ。幸福の絶頂にいた時に、彼女が死に、一時はどん底に落ちたが、また立ち直って這い上がっていく様が素敵だと思った。藤井くんの、二人の関係性の捉え方も、「you」だったのが「we」に変わって、彼女の死をきっかけにまた「you」に戻るのだけど、それで、前よりもより心に刻み付けられているという表現に感動した。
中村 航
二人暮らしをする小学生の百音と、百音の母親の元彼、統理。世間から見たら「訳あり」の家族だけれど、二人は二人なりに幸せだった。 印象に残ったフレーズ 「手を取り合ってはいけない人なんていないし、誰とでも助け合えばいい。それは世界を豊かにするひとつの手段だと、少なくともぼくは思っています」 昨今の不安定な世界情勢を見ても、ストンと腑に落ちるような言葉だと思う。みんなが手を取り合うことが大切だが、それすらも「ひとつの手段」なのだから、手を取り合えない人の前は、黙って通り過ぎることが大切だと学んだ。 この本は、凪良さんの本の中でも文体がポップで、軽いと思った。内容がずっしり来る内容なだけに、この文体とのバランスがいいな、と感じた。 また、凪良さんの本には、「多様な愛」を書いたものが多いが、今回もそれが表れていると思う。揺れ動く複雑な男女の愛だけでなく、同性愛だったり、親子愛だったり、くどくない重さで入っていて、人にも是非薦めてみたいと思った。
凪良 ゆう
読者を「騙すため」に作られた短編集。 一番「やられた」と思ったのは、「ヤリモク」。最初は男性の方がペースを作っていて、このまま行くのか?と思っていたら、女性の方が罠を仕掛けていた。女性の方が一枚上手か、と思ったら、男性もまた女性を「ヤる」ために罠を張っていた。 最後の最後まで、どちらが上手かわからないのが面白かった。
結城 真一郎
少女が目覚めたのは、「物語で不幸になった者」だけが辿り着く「物語管理局」。彼女はそこで、「物語管理官」として、不幸になった登場人物を救っていく。 印象に残ったフレーズ 「物語は人を幸せにする。ただ、作中の登場人物も同じであるとは限らない。主人公が幸福な結末を迎えても、すぐ近くに不幸になってしまった者がいる場合だってある」 私自身も小説が好きなこともあって、この考え方に共感した。自分は主人公の気持ちに共感して幸せを感じていても、その周りもみんな幸せだとは限らない。 みんなを平等に幸せにする物語を作るのは難しいと思う。大体は誰かの不幸があって、その上で他の人の幸せが成り立っているのだから。 でも、それが世界の摂理だと思う。ある時は誰かの不幸の上に自分の幸せがあって、またある時は誰かのために自分の幸せを犠牲にする。そうやって少しずつ妥協しあって生きていくことが大切だと思う。
綾崎 隼/花譜
日常の何気ない「生きづらさ」を描いた、加藤シゲアキの短編集。 印象に残ったフレーズ 「人ってのはな、喜ぼうと思っても限界はあるが、悲しもうと思うと際限なく悲しむことができる。だったら最初から悲しまねぇことだ。何があってもわしは悲しんだりしない。ただの出来事として受け入れる」 驚いた。そんな考え方があるのかと思った。これは、同志を亡くし、周りから陰口を叩かれ続けた根津爺だからこそ言えた言葉だと思う。 私にこのような考え方ができるだろうか。ここまで割り切って考えるのは難しいと思う。でも、悲しみ続けるのではなく、根津爺いわく「限界がある」喜びを見つけることは大切だと思う。限界を突破する、というわけではないが、日常の小さな幸せを感じて、喜びの限界を大きくしていきたい。
加藤 シゲアキ
いよいよ新二は高校三年生になり、最後のインターハイを迎える。 印象に残ったフレーズ 「陸上は新ちゃんがやらなかったら、試合を見たりしなかったわ。あんなに面白いのに、もったいないわよね」 新二の母親が、新二に向けて言った言葉である。こんなふうに誰かに思ってもらえることは、幸せなことだと思う。 私も誰かに、「あなたがやっていたから、自分もこれが好きになった」と言ってもらえるようになりたい。そのためにも、自分がそれの面白さを理解することが大切だと思う。 「之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」 という論語の教えもあるように、まずは自分自身が目一杯楽しめるようにしたい。
佐藤 多佳子
伯母に虐げられ、従姉妹にはいじめられて、シンデレラに憧れる少女、青緒。しかし彼女の体は、恋をすると焦がれて痛むという残酷な病に蝕まれていた。 印象に残ったフレーズ 「親より幸せになりなさい」 母親を早くに亡くし、しかも、それが自分のせいだと知ってしまった青緒にとって、親より幸せになることは、戸惑いが大きかった。 そんな青緒に、この言葉をかけたのが、友達の父親、玄太だった。親というのは、子供の幸せが何よりの幸せなのだから、幸せになることが最大の親孝行だと気づかせてくれた。 この作品は、宇山佳祐の作品にしては珍しく、恋愛以外の「愛」が描かれている。 師匠が弟子を想うこと、親が痛みに耐えながらも子供を愛すること……。そのどれもが当たり前で当たり前ではないからこそ、切ない恋愛以外の部分で泣ける。 その後、青緒と歩燈はどうなっただろうか。この手の作品の中で意外なハッピーエンドを迎えたからこそ、末永く幸せでいてほしい。
宇山 佳佑
カリフォルニア州の大学に留学した多希。しかし、その授業は米国トップクラス。 語学のハンデと、留学生くずれの領との関わりと闘いながら、「自分との闘いに勝つ」ために頑張っていた。 印象に残ったフレーズ 「努力は必ずしも報われるとはかぎらない。しかし、努力抜きで報われることはありえない……」 家族に啖呵を切ってアメリカにやってきた手前、後には引けないというプライドを持って、ひたすらに勉学に励む多希の様子をここまでうまく表した言葉はあるのか、と思った。 それと同時に、自分自身を奮い立たせてくれる言葉でもあった。 多希も何度も、日本とアメリカというハンデに投げ出しそうになっただろう。それは授業の理解度かもしれないし、白人からの有色人種への差別的な言動かもしれないか それでも、自分を奮い立たせ、見事に大学を卒業してみせた多希は立派だと思う。
藤堂志津子
ある日、テレビで流れた2020年の東京オリンピック開催のニュース。それを見た和樹の祖父は、誰にも見せていなかった55年前の手紙を和樹に託す。 東京で、これでもかというほどの失意を味わった和樹が、最初は「祖父のために」と東京を駆けずり回って手紙の「果たされなかった約束」を探す様が心を打たれた。 大学生時代の和樹の祖父の陸上にかける思いにも、今の自分と通ずるものがあり、素直に「綺麗だ」と応援したくなった。祖父が怪我をしたシーンでは、まるで自分ごとのように胸が苦しくなった。 印象に残ったフレーズ 「あと6年は生きなきゃならん。オリンピックが、観たいからな」 怪我をした直後の祖父にとって、当時の東京オリンピックは、どんなものだったのだろう。 絶望のどん底の気持ちで観ていたかもしれないし、もう立ち直って、希望を胸に観戦していたかもしれない。真相は、祖父以外わからないけれど少なくとも、2020年の東京オリンピックは、間違いなく祖父に「生きる希望」を与えたのだろう。あまり話さず、家でやつれていた祖父が、ここまで希望を見出せるようになったのか、と感動した。 そんな彼らが思い描いた東京オリンピックを、私たちは観た。 彼らは、そのオリンピックが未知のウイルスによって、延期されることなんて、予想だにしていなかっただろう。私たちですら、予想していなかった。 それでも、オリンピックは開催された。「ウイルスからの復興」と銘打って、形は違ったけれどもちゃんと開催されて、日本中、世界中の人々に感動を与えた。 オリンピックは、いつの時代も、人に希望をもたらすものなのだ。それが、自国開催なら尚更だ。
中村航
「食の好みが合う」というだけで同居を始めた、高村と伊東。しかし伊東には恋人がいて、高村も、妻子持ちの男性と関係を持っている。伊東の恋人、華は、オシャレよりも、恋人よりも研究を優先させる性格だ。 そんな一癖も二癖もある、3人の登場人物が織りなす、三角関係のようでそうではない複雑な物語。 食べ物の描写がうまいと思った。読んでいても、人物たちと一緒にお腹が満たされるような感じがした。 特に伊東の人物像が、見る人によってとても共感できたり、また腹が立ったりした。 華や高村の視点から見ると、伊東は優柔不断で、華との関係も、高村の関係も中途半端にしている気がした。しかし、同じ場面でも伊東の立場から見ると、葛藤などが理解できて、不思議なものだと思った。 最後は、華が自分の気持ちを伊東に爆発させたことで物語が収束した。 私は、ついつい人が動いてくれるのを待ってしまう。だから、華のように、自分の気持ちをきちんと伝えることができる人は尊敬する。自分も、華のように、自分の気持ちを少しでも伝えられるようになりたい。
千早茜
幼馴染の結婚式で、心揺さぶられるスピーチに出会ったこと葉。すぐにそのスピーチの作者、久遠久美に弟子入りする。その中で、例の幼馴染の選挙活動を手伝うことになる。 印象に残ったフレーズ 「ほんとに弱ってる人には、誰かがただそばにいて、抱きしめるだけで幾千の言葉の代わりになる。そして、ほんとうに歩きだそうとしている人には、誰かにかけてもらった言葉が何よりの励みになる」 友人などとの付き合い方を考えさせられる言葉だと思う。 弱っている人がいたら、ただそっと寄り添い、共感する。そして、その人が歩きだそうとしたら、優しく励ます言葉をかける。 そんなことが、自然にできる人になりたいと思う。 また、自分自身も、誰かの言葉が心に響く時と、響かない時がある。 先日、私が確かに歩きだそうと決めた時、人にかけてもらった言葉がものすごく励みになった。 反対に、自分が苦しくてどうしようもない時は、励ましの言葉などいらない。ただ寄り添ってほしいと思う。 そういう意味でも、共感できる言葉だと思う。
原田マハ
平凡な都立高校のテニス部のエース、川木が、七月ぐらいにアメリカに行くことになった。インターハイにも、都立対抗戦にも出られないという。彼の才能は、テニス部の部員にさまざまな思いを持たせる。嫉妬、恋慕、劣等感……なかなか受け入れられない人もいれば、あっさりした人もいる。おたがいの意見がぶつかり、夏に爆発して大きな感動を呼ぶ。等身大の主人公たちの姿に共感できる、青春小説! 印象に残ったフレーズ 「勝手に私に夢見るな、って思っていた。でも夢を見てもらえた。それだけの力があると信じてもらえた-それはきっと、『勝手』な思いからは生まれない」 期待とは、時に人を苦しめるものだ。私自身もたまに、人からの期待に押しつぶされることがある。期待してくれる人を恨むこともある。これを言った、日々乃と同じだ。 けれども、期待されているということは、それだけ自分のことを信じてくれているということだ。期待しないで、と、時には思うけれど、人が信じた自分の実力というのは、自分自身も信じていいものかもしれない。 期待してくれるのは、愛情の裏返しだ。感謝して、期待に応えられるよう頑張りたい。
音楽に没頭すると、周りが見えなくなってしまう生粋の音楽バカ、一条亜紀。 そんな亜紀が、吹き溜まりに溜まるヤンキーたちを相手に、吹奏楽部を立ち上げる。 印象に残ったフレーズ 「本当に諦めたくないことがあったら、一度失敗したくらいで諦めるな。一度弾かれたくらいでヘコむな。ダメならもう一度やればいい。何度だってやればいい」 目が覚めたような感じがした。「諦めたくない」ことは、それこそ一度失敗したくらいで諦めてはいけないと思う。 自分も最近、大きな挫折をした。ここ数年、それこそ人生を懸けて努力してきたことを、意外な方向から奪われて、自暴自棄になりかけていた。練習にも身が入らずこれではヤバいと思っていた矢先、この言葉に出会った。 私も、自暴自棄になるのではなくて、もう一度、思い切りぶつかってみようと思う。 私は、この夢を諦めたくない。だから、自分が心ゆくまでぶつかりたい。
二年生、先輩になった神谷新二は、先輩達の引退試合を見て、連の走りを見て、自身のうちに秘めていた「走りたい」という欲求が爆発する。 印象に残ったフレーズ 「走りたい! この気持ちは、連から伝わってきたのか?連のものか?俺のものか?どうでもいい。走りたくない奴なんかいるわけないんだ。身体がぶるぶる震えてきた。今すぐに下に降りていって、今すぐに走りたい、あそこを、南関東のトラックだ。誰もが踏めるわけじゃない。インターハイ本線への最後のジャンプ台。リレーで実際に走った時よりはるかに強く、ここが南関東なのだと全身で痛感した」 舞台慣れしたからこそ、インターハイという目標が現実味を帯びてきて、だから「走りたい!」と欲求を爆発させられる。この至極単純な新二の考え方が好きだ。 部活には、そんな単純な情熱が必要だ。自分自身音楽が好きで、「吹きたい、吹きたい!」という情熱だけで吹奏楽を続けてきた。 そんな情熱がなければ、部活を続けることはできない。私自身もこれから、そんな単純かつ真っ直ぐな情熱を持ち続けたい。
愛するとは何か、愛されるとは何か。愛について語った少し不思議な小説。 途中までは難解で、少し理解しづらい部分もあった。けれども、主人公らの「本当の愛を見失う」部分や、人間、さらには自分自身すらも信じられない気持ちは、共感できる部分もあった。 この本に出てくる人物たちの「愛」に関する思考は、なるほど、と納得できる部分が多かった。中でも印象に残った考え方は、 「誰のことも愛せないと言うことは、自分自身のことも愛せていないということだ」 と言う考え方。 自分自身を愛せないままに人に一方的に愛してもらうというのは傲慢だし、自分を「愛する」と言うことを知らないのなら、人を愛することなど絶対に無理だと共感した。 だからこそ、自分自身を認め、愛してくれる人がいないので「孤独」になってしまうのだろう。 「孤独」にならないために、誰かを愛し、誰かに愛されて幸せになるためにも、まずは自分自身を認め、好きになってやることが大切だと思う。
川村 元気
過去のトラウマから他人との接点を持たない青年、橘は、上司からの命令で音楽教室のスパイとなる。 そこで師となったチェロ奏者、浅葉桜太郎の演奏に魅せられるが、彼の前で、橘は何ひとつ真実を話すことを許されなかった。 印象に残ったフレーズ 「講師と生徒のあいだには、信頼があり、絆があり、固定された関係がある。それらは決して代替のきくものではないのだと」 「音楽教室での指導で使った楽曲に、著作料が発生するか」という問題に対して、音楽教室の講師が発した反論だ。音楽教室での生徒は、決して「不特定多数」ではない、という意味が込められている。 この本のキーワードはきっと「信頼」だ。音楽には、他では変えられない種類の「信頼」を得ることができる。一度その信頼を木っ端微塵にしてしまっても、人を恐れるようになってしまっても、気持ち次第で飛び越えられる。 橘が、上司からの命令で、浅葉に嘘をつかなくてはならない描写は、胸が痛んだ。音楽は本来自由なものなのに、それに心を悩まされなければいけないのは、許されないことだと思った。 現実でも、音楽教室での著作権問題は、長らく抗争が続いている。確かに、「音楽」という文化を末永く発展させていくためには著作料というものは必要だが、それでも、音楽教室で得られる経験や、信頼関係は、代替の効かない唯一無二のものだと思う。
安壇 美緒
記憶が80分しか保たない数学者、博士。その博士の家に家政婦として呼ばれた女性の物語。 印象に残ったフレーズ 「博士の幸福は計算の難しさには比例しない。どんなに単純な計算であっても、その正しさを分かち合えることが、私たちの喜びとなる」 博士は、記憶が1975年で止まっているために、世界の時事の話や、昨日の雑談の続きすらも、家政婦やその息子と共有することができなかった。そんな博士が唯一、記憶の問題に邪魔されずに語り合うことができるのが「数学」だった。素数の話から、時にはオイラーの公式や、フェルマーの最終定理の話にまで、博士は数学のことならいくらでも話すことができた。だからこそ、この「共有できる」という喜びはひとしおだったのだろうと思う。 この本は、以前にも小学生の頃に一度読んだことがあったが、その時はまだ幼すぎて、殆ど内容を理解出来なかったのを覚えている。 そして今、少なくとも昔よりは人生経験を積み、数学に関する知識も豊富になった私は、博士の言わんとしていること、それから彼女が何を見出したのかまでは理解できた。 もし、この本を、私が本気で人を「愛する」ということを知った後、もう一度読めば、計り知れない感動が待っているのかもしれないと、楽しみだ。
小川洋子(小説家)
高校に入学し、陸上部の熱烈な勧誘を受けて入部した主人公2人が織りなす青春劇。 私は、スポーツは得意ではないけれど、陸上っていいな、と思った。 主人公の競技性上、ただ「走る」だけというやることが単純だからこそ、打ち込める気持ちは分かると思う。 また、リレーはチーム戦だからこそ、練習に真面目に取り組まないチームメイトにイライラしたり、足を引っ張っている気がして無駄に緊張したりするのは、自分も集団演技をする者として共感できた。チーム戦をするなら、チームメイトとの信頼関係は必須だと思う。よりよい信頼関係を築くために、できることをしていくことが大切なんだろうか。
ある日突然、「人の死が見える能力」フォルトゥナの瞳を手に入れた木山慎一。彼は、年末に多くの人が列車事故で亡くなることを知り、我が身を犠牲にして人々を助けることを決める。 途中で黒川が言った、「人の運命は、神が決めることだから、人間が関わってはいけない」という言葉が印象的だ。 特に、黒川が助けた人物が、その後大きな事件を起こし、本来「奪われるはずのなかった」命が奪われたとき、強くそう思った。 それにしても、「人を救うと自分の命が削られる」という設定は残酷だと思った。だからこそ、慎一が、葵と幸せになりたいという自己と、人を救いたいという思いとの間で葛藤する気持ちも分かる。 また、葵が全て知っていたというのも驚いた。全てを分かった上で、自分を殺して、慎一の意向を尊重した葵が、一番切なく、素敵な人物だと思った。
百田 尚樹
弟が、放火犯の疑いがある女と一緒に失踪した。兄である誠実は弟と親交のあった人物に話を聞くが、彼らが語る弟の印象は、まるで違うものだった。 印象に残ったフレーズ 「みんな、僕に自分の望みを投影しているだけなんです。良い息子、すてきな彼氏、いい人。どれでもないのに、いつも勝手に押しつけてくる」 「柳瀬希望とは何者か」という、誠実と共に読者が抱いていた疑問の、答えとなる文言だと思う。 結論から言えば、「希望は、何者でもない」。希望自身が、お菓子の箱に自分を喩えて話した、「空っぽ」という表現が言い得て妙だと思った。 読み深めるにつれて、ますます「柳瀬希望」という人物がよく分からなくなった。 それぞれが語る希望は、全く別の、独立した違う人間のように見えた。それは、探偵まがいの高遠によると、「それぞれが自分の見たいものを投影しているから」らしい。 これが、「柳瀬希望」の全てだと思う。 人間とは、自分のほしいものを他人に投影してし弟が、放火犯の疑いがある女と一緒に失踪した。兄である誠実は弟と親交のあった人物に話を聞くが、彼らが語る弟の印象は、まるで違うものだった。 印象に残ったフレーズ 「みんな、僕に自分の望みを投影しているだけなんです。良い息子、すてきな彼氏、いい人。どれでもないのに、いつも勝手に押しつけてくる」 「柳瀬希望とは何者か」という、誠実と共に読者が抱いていた疑問の、答えとなる文言だと思う。 結論から言えば、「希望は、何者でもない」。希望自身が、お菓子の箱に自分を喩えて話した、「空っぽ」という表現が言い得て妙だと思った。 読み深めるにつれて、ますます「柳瀬希望」という人物がよく分からなくなった。 それぞれが語る希望は、全く別の、独立した違う人間のように見えた。それは、探偵まがいの高遠によると、「それぞれが自分の見たいものを投影しているから」らしい。 これが、「柳瀬希望」の全てだと思う。 人間とは、自分のほしいものを他人に投影してしまうものなのだろうか。はっきりとした自分の「核」を持っていない希望は、そういう人たちの恰好の「生贄」だったのだろうか。 寺地はるながこの本で描きたかった「人間の弱さ」は、こういうことなのではないかと、考察した。
寺地 はるな
記憶屋IからⅢのスピンオフ作品。 印象に残ったフレーズ 「過去を捨てたくて、昔の自分を知っている人がいないところまで逃げてきたのに……自分の記憶からは逃げられないんです。全部捨てて、後は自分の中にある記憶だけなのに、それが邪魔をして、幸せになれない」 「けれど、だからこそ-今日一日くらいは落ち込んでもいいだろう」 一つ目は、過去に巻き込まれた交通事故の、被害者と加害者の兄という立場にある2人が駆け落ち同然に逃げてきた街で、出会った弁護士、高原に告げた言葉。記憶屋を本気で探す妻と、過去の事故の罪悪感に苛まれる夫、2人の思いがひしひしと伝わってきて、苦しかった。 二つ目は、病気を宣告された高原が、自分のイメージを壊さないために、最期のときまで強く生きることを決意し、一方で、宣告されたその日だけは落ち込ませてくれと、自分に許しを求める言葉。周りに造られたイメージを壊さないことは、時として自分の感情をコントロールし、悲しみや苦しみを見せないことにもなる。高原も、苦しかったと思う。 1からⅢを全て読んでからこれを読んだから、全部が繋がった感じがした。時系列で言うならこれが一番最初。戦後まもない頃だ。一番最後に、この時の主要人物、慎一の孫として、真希が登場する。Iで出てきた、真希の記憶を消した記憶屋は、慎一だ。それから時が経ち、真希の従兄弟として夏生が出てくる。夏生がどんな経緯でこの能力を手に入れたのかは謎だが、能力に苦しみ、悩む夏生を献身的に支えたのは真希だ。 このように、シリーズものが完結し、全ての話が気持ちよく繋がる瞬間が、たまらなく好きだ。
織守きょうや/loundraw
ある夏の日、突如呼び出されて監禁された6人の高校生たち。彼らに届いたのは「私を殺した犯人を暴け」というかつての恩人からの手紙。 この廃屋から脱出すべく、彼らはあの夜の証言を重ねていく。 印象に残ったフレーズ 「彼女は何度も団地に暮らす子供たちを救ってきた。だが茜を救う人はいない」 結局のところ、これが全てなのだろう。社会においても、児童福祉司の仕事においても。 自分も、人を救っても何をしても、自分が報われない経験は何度もしてきた。それゆえに、茜の葛藤や、それを間近で見てきた律の思いに共感できた。 茜を突き落とした佳音の苦しみ、姉の不審死をきちんと処理してもらえなかった美弥の悔しさ、また、愛する人を失った律の喪失… どれも自分に直接感じることのできない感情だが、同じ子供として、見過ごせない部分があった。だから、「自分が大人になった時、子どもの声に耳を傾けられる人でありたい」。
松村 涼哉
小学二年生だった結珠と果遠は、それぞれ自分の家族に違和感を抱えて出会った。 しかし、その後離れ離れになってしまう。次の出会いは、高校生。しかし、その出会いですらもすぐに引き裂かれる。 2人の女性の、約20年間の成長と、それに伴う関係性の変化を優しく書き上げた作品。 印象に残ったフレーズ 「でも、百回に一回くらい、それを上回る楽しいことが起きるから」 結珠の仕事観が垣間見えるセリフだ。 体調を崩してもなお、もう一度あの教壇に立ちたいと、思えた結珠は立派だと思う。 この作品で特に印象的だったのは、2人の関係性の変化だ。小学二年生だったあの頃、ただただ無邪気だった2人は、お互いを尊敬し合い、親に不満を持っていればよかった。 高校生になると、思春期の難しさが関係性にも現れてくる。小学生の頃のように付き合いたい果遠と、少しませてきて、不器用になってしまった結珠の心境が見事だな、と思った。 そして26歳になった時。2人は何となく結婚していて、果遠には子供もいたが、得体の知れない不和を感じていた。個人的には、この時の関わり方が1番好きだ。 結珠と果遠を結んでいたあの感情は、友情なのだろうか、はたまた愛なのだろうか。 答えはわからないが、また2人がどこかで、運命の出会いをしていれば良いな、と思った。
一穂 ミチ
自分にとってかけがえのない存在を守るために「家出」した4人の少年少女。 彼らの一夏の逃避行で、得たもの、失ったもの、気づいたものとは… 印象に残ったフレーズ 「今日は月が綺麗だな」 「月が綺麗ですね」は、比較的有名な告白のセリフ。特にこの会話をしていた爽馬と凛乃は、すでにこの会話をしたことがある。 だからこそ、「2人にしか伝わらない」空気感や世界観を共有できるのが良いと思う。 一方で、朱利と凪沙は、新月の前日の夜に、2人で夜の星空を眺めていた。「星が綺麗ですね」は、月と同じく告白のセリフだが、月よりも切ない印象を加えることができるそうだ。小学生の頃からずっと、凛乃を思い続ける朱利への、叶わない恋をする凪沙からの精一杯の告白なのかも知れない。 親も先生もいない、異質な空間だからこそのロマンチックさを出しつつ、そんな対比もある、綾崎隼の粋な計らいなのではないかと読んだ。 恋は、本当に難しいと思う。朱利も凪沙もずっと叶わない恋をして、苦しんできた。 最後の、朱利の語りによる凛乃が兄を尊敬し、慕うきっかけになった出来事の裏で起きていた切ない出来事の伏線回収が良かった。 朱利は、一見クールで冷徹な人物だが、胸の奥に熱い気持ちを持った「いい奴」だと思う。
綾崎 隼
クラスメイトと良好な関係を築くことができず、引っ越すことになった凛子。 引っ越した土地で最初に話しかけてきたのは町の変わり者、和久井だった。 印象に残ったフレーズはなし。 自分も、人と関わることは苦手で、できればしたくないから、凛子の気持ちに共感した。 親や先生からは、「友達がいらない」という考え方が理解してもらえず、「何かあったのではないか」と過剰に心配される苦しさや鬱陶しさは痛いほど理解できた。同時に、「この考え方、おかしいよな」とも思った。 本の中で凛子が救われた、和久井の「自分は自分、人は人」と割り切って、誰の意見も否定しない考え方には、私自身も救われた。 そんな明るい和久井にも、誰にも言っていない苦しみや我慢があって、人の心の中は絶対にわからないものなのだな、と学びになった。 本音を話せる相手を見つけることも大切だが、それ以上に、人の気持ちは決めつけてはいけないのだと思う。
櫻 いいよ
「好き」を見つけられない主人公のつばさ。彼女は、小学校の卒業式で、周りと違う空気を纏う同級生、雨宮凪良に出会い、関わっていく。その中で、「個性」とは何か、「自分らしく」とは何かを探っていく。 印象に残ったフレーズ 「彼は、自分のことを誰よりも知っている。だからこそ、隠せるのかもしれない」 「でもなんで-僕が強くならないといけないの?」 一つ目は、新しい考え方になるほど、と思ったフレーズ。自分の見られたくない一面の一つや二つ、誰にでもあると思うが、それを隠すには、やはりその面を自分が誰よりも知っていなくてはいけない。隠すなら隠すで、自分と面と向かって向き合って、「絶対に隠し通す」という覚悟を持つ必要があるのかもしれない。 二つ目は、このセリフを読んだ瞬間、ハッとした。というのも、自分自身、何かに悩む人、特に人の噂を気にして悩む人に「いつか認めてもらえるように、胸を張って『強く』生きないと」という考え方を強要しているように感じたからだ。噂をされている人だけが強くならなくてはいけないなんて、そんなことはない。噂をする側が、勝手な僻みで人を傷つけることがないよう、『強く』ならなくてはいけないのだ。 この本の全体に出てきた「噂」だが、それを気にしないのはものすごく難しいことだと思った。でも、最後に、噂をされても自分の「心がときめく」ことを貫いて、「それは、自由で、個性的な、あたしだけの世界だ」と言い切ったつばさは強いと思う。冒頭では、小学校の卒業を「個性」を求められる「自由」からの解放、と表現していたのに、すごい変化だ。 でも、私はやっぱり噂は気にしてしまって、それで本性を隠すけれど、でもそんな日々も嫌いじゃない。 もちろん、隠すことで苦しむこともあるけれど、楽しいことだってある。「本当のあなたを見せて」とよく言われるが、楽しいことが少しでもあるなら、一概に「悪いことだ」と切り捨てることはできないと思う。
小さい頃から踊ることが好きで、アイドルグループ「NEXT YOU」のメンバーの愛子。 しかし、現実は外から見える華やかな部分だけでなく、炎上、恋愛禁止と厳しいものばかりだった。 印象に残ったフレーズ 「怒るから、その人がどういう人間なのか、何が許せない人なのかって、わかるじゃん。それがわかるから、その後もっともっと、仲良くなれたりするじゃん」 「怒る」ということに対して、そういう捉え方もあるのか、と納得した。 愛子が存在する「アイドル」の世界では、匿名での誹謗中傷、盗撮、執拗な過去の詮索など、「普通の人ならば」怒って当然のことに、黙ってスルーする、煽り耐性をつけることが美徳とされている。 でも愛子は、それが許せなかったのだと思う。だから、こんな風にメンバーに向かって「なんで怒らないの」と責めることができた… これを読んで、私は「アイドルも普通の人間なんだ」と思った。愛子のメンバー、鶴井るりかは、「アイドルは夢を見させてあげなきゃいけないんだから、人間らしい部分なんて見せたらダメ」と言っている。確かにそれも一つの考え方だと思う。でも、愛子や、同じメンバーの碧が言ったように、私は「アイドルも人間」であってほしい。「社会に現れた異物」なんかであってほしくない。 それには、私たち受け止める側の努力が必要だと思う。私自身も、知っている人の熱愛、炎上の記事が出ても、目を逸らすばかりだったと思う。でも本当は、アイドルが恋愛しただけでなぜ叩かれなければいけないのか、疑問だった。疑問だったが、解決せずに傍観者の立場を貫いていたから、もし人に話を振られたとき、安易に、決定的に傷付けるような言葉を放ってしまうのではないかと思う。 だからこれから、そういう記事が出たら(出ないのが1番だけど)、こうやって小説を考察するように、記事もじっくり吟味して、自分なりの意見を持ってみようと思う。
朝井 リョウ
田舎の町に暮らす三葉は、見知らぬ男の子になる夢を見る。東京に暮らす瀧も、山奥で暮らす女子高生になる夢を見る。 瀧は、会ったこともない高校生の三葉に惹かれ始め、ある日会いに行こうと思い立ち、三葉として見た風景だけを頼りに三葉を探すが、三葉が住んでいた町は、3年前の隕石の衝突によって滅んでいた。 最初は、物語が三葉視点か瀧視点かが掴みづらく読みにくかったが、最後の方にはどっちの視点でもなく、2人の視点が錯綜するような書き方で、引き込まれた。 「君の名は」は、瀧と三葉を繋ぐ唯一の言葉だ。三葉は瀧よりも3年早く生まれ、瀧との入れ替わりを経験していた。だから、三葉が瀧に会いに行こうとして東京を訪れたときは、瀧はまだ中学生。三葉のことなど知らないから、「不思議な少女」なだけだった。 しかし、三葉と入れ替わってから、取り戻したその時の記憶が、自分が3年前の山奥の町に生きていたことを確信させる。 このような、時間が違う系の小説は、「かがみの孤城」などのようにたまにあるが、これも見抜けなかった。 だから電話やメールが通じないんだな、と思わぬ伏線回収があって面白かった。
新海 誠
浜松にある無人駅、寸座駅には、晴れた夕焼けの日に駅にあるベンチに座ると、もう二度と会えない人に会えるという伝説がある。 その伝説を実行し、未練を果たす人々の、涙と希望の、珠玉の短編集。 印象に残ったフレーズ 「生きてさえいてくれれば、お母さんたちはうれしいの」 「ずっと俺のために強がってくれていたんだ……。誰よりも苦しいのに、悲しいのに無理してくれていたのか」 一つ目は、亡くした恋人を忘れられず、前に進むことができない美花が、実家に帰った時に母親に言われた一言。 亡くした恋人を想って、時間が解決すると思って東京に出るも、結局何も変わらなかったと嘆く美花に、彼女が生きているだけで、自分は幸せなのだと言ってくれた。家族愛が光る一言だと思う。 二つ目は、妻を病気で亡くした准が、妻、志穂は、平気だったわけではなくて、ずっと安心させるために強がってくれていたことに気づくシーンでの一言。私自身も、准と同じ気づきをした。 私が一番好きだった話は、「明日へと続くレール」だ。もう仕事をリタイアして、余生をゆったりと過ごす老夫婦の話だ。若い子の、明るくピチピチとした恋もいいけれど、このようなゆったりとした恋もいいな、と思った。
いぬじゅん
高校生の亜紀は、一年前に仲違いしたまま死んでしまった姉を許せずにいた。 そんな最中、突然姉を名乗る人物からLINEが届く。また、姉、春香のルームメイトだったという奈津が、亜紀の家に居候することに。奈津と過ごすうちに、封じ込めていた思い出の扉をこじ開けられ、春香との思い出を取り戻していく。 この本を読みながら、私は号泣してしまった。亜紀の、「奈津の言っていることは正しいと思うけれど、姉との思い出を振り返るのは怖い」という気持ちが痛いほど理解できたし、それが家族や奈津本人に理解されない孤独さ、苦しみもよく伝わってきた。 私も、自分自身の考え方が人に伝わらない孤独さを感じているからこそ、亜紀の苦しみが共鳴して、ここまで心を動かされたのかな、と思う。 印象に残ったフレーズ 「時間は二度と戻ることはなく、これも幻になってしまうの?」 亜紀と春香の心の叫びだと思う。 亜紀は、春香を傷つけた罪悪感にずっと支配されていたけれど、本人に直接会って、きちんと謝って、「心の手当て」ができた瞬間だ。 春香も春香で、「絶対に守る」と約束した最愛の妹を傷つけたことがずっと心残りだった。でも、花火を見ながら亜紀が許してくれたことを悟り、「本当に幸せな夢だった」と語っている。 やっと分かり合えたのに、春香はもうこの世にいない。「この時間がずっと続けばいいのに」後から振り返れば、きっとこと体験すらも「夢」「幻」と言われてしまう。それが苦しかったのだと思う。 この本の中で、亜紀は、春香とわかり合っただけでなく、父親や、妹の冬音とも分かり合えたと思う。特に父にも、同じように悲しみの根源を無かったことにして、きちんと向き合わなかった経験があって、だからこそ心の底から、亜紀の気持ちがわかるというのが驚いた。 誰でも、表に見えているものが全てではないから、きちんと向き合って、時にぶつかり合うことが必要なんだな、と感じた。
主人公、夏目と冬月は、小説でつながり、小説によって引き裂かれた。 若い才能と、嫉妬と、甘い恋に彩られた、青春純愛小説。 印象に残ったフレーズ 「私が死んだ後も、私の書いた小説は残って、そして夏目くんをここに連れてきてくれた。」 小説の良いところは、「死後」も残るということかもしれないと思った。 また、小説家というのは、言葉に物凄く精通していて、いつでも腑に落ちるような最適な言葉を選択できるものだと思っていた。 でも、夏目も冬月も、ここぞという時に口下手で、ことごとく気持ちが伝わらないのが人間らしくて良いと思った。 また、私は小説と音楽が好きなので、しばしば小説と音楽のそれぞれの良いところを検討することがある。 今までは、「小説は言葉が違うと伝わらないけれど、音楽は言語の違いを超えて感動を伝えられる」という考え方だった。 しかしこの小説で、「音楽はその一瞬だけで、二つとして同じ演奏は存在しないが、小説は半永久的に残り、何度も同じように感動することができる」ことにも気づいた。 また、自分が死んでも、愛する人に想いを伝えることもできる。冬月が書いた「ラブレターの代わりに」がそれだ。 冬月は、死にたくなかっただろうか。死んでしまって、無念だっただろうか。そう思ってもなお、やはり死んでしまいたくなるほど、小説家というのは過酷なものだろうか。何ヶ月かの時を経て、夏目がその遺志に気づいた時、1番無念に思ったと思う。 でも夏目は、冬月のことを忘れずに、きっと小説を書き続けてくれると思う。
安倍 雄太郎/げみ
バイクで事故を起こした、キョロちゃんこと雨宮誠と相澤日菜。二人は「奇跡」を受け取り、二人で一つの命を奪い合いながら生きることになった。 しかしその命を奪う基準は、「幸福度」だ。どちらかが幸せを感じると、もう一方の命を奪う。二人は常に、お互いの感情を牽制しながら生きることになった。 印象に残ったフレーズ 「笑え、日菜。今日だけはいくら笑っても構わない。いくら喜んでも、嬉しくても、あいつの命を奪うことはないんだ。だから今日はうんと幸せになってこい」 日菜と誠は、「ライフシェアリング」を受け入れたばかりに人間として当たり前の「喜び」「笑う」権利を手放した。 嬉しい時に笑えず、常にお互いの感情に目を光らせていなくてはいけないというのは、どんな気持ちだろう。 この本は、「生きる意味」「幸せとは」というテーマに一石を投じる本だと思う。たとえ自分の命を投げ出してでも、幸せになってほしいと願える相手に、私は出会えるだろうか。 この本の中にたびたび出てくる、「雨は、死んだ人が愛する人のために流した恋の涙なのだ」という考え方が好きだ。人が死ぬのはものすごく悲しいことだけれど、そうやって考えることで、人はそれを乗り越えてきたのかな、と思う。
200X年、日本では謎の航空機事故が相次ぎ、メーカーの担当者と自衛隊は調査をしていた。その頃地上では、子供たちが海辺で不思議な生物を拾う。大人が見つけた上空の秘密と、子供が拾った秘密の生物がやがて出会う時、人類にはかつてない未曾有の危機が降りかかる。 印象に残ったフレーズ 「間違うたことは間違うたと認めるしかないがよね。辛うても、ああ、自分は間違うたにゃあと思わんとしょうがないがよ。皆、そうして生きよらぁね。人間は間違う生き物やき、それはもうしょうがないがよね。何度も間違うけんど、それはそのたびに間違うたにゃあと思い知るしかないがよ」 謎の生物「フェイク」に、父親が亡くなったと言うことを受け入れる代わりに執着し、暴走する瞬を見かねて相談した佳江に、宮じいが言った言葉。 「人は間違うものだ」とよく言うが、「間違う生き物だから仕方ない」のではなくて、間違えたことは間違えたこと、と受け入れて、反省する必要があるのだと教えてくれた。
有川 浩/鎌部 善彦
宮沢賢治は、父、政次郎に何かとつけて金の無心をする息子。そんな賢治は、妹、トシの病気を機に筆をとり、多くの素晴らしい作品を書き始める。 印象に残ったフレーズ 「そもそも『春と修羅』という本の題そのものがトシがらみだ。政次郎には、そんな気がしてならなかった。なぜなら『無声慟哭』あたりの詩句から見るに、ことに『修羅』の語が、もうトシのいない世にひとり生きなければならない胸のいたみを示している」 賢治がいかにトシのことを愛し、大切にしてきたかが分かる。 別の本で、『春と修羅』の「あめゆじゅとてちてけんじゃ」のエピソードを聞いたことがあったから、トシの命運を既に知っていて、読んでいて心苦しかった。 昔は、今よりも衛生状況が悪かったのか、息子・娘に先立たれることも多い。政次郎も、苦しかったのではないか。 この本を読んで、宮沢賢治の自分の中でのイメージが変わった。クールで賢い人物なのかと思ったが、なんだか暴れん坊だし、いつまでも親の脛をかじっているし、案外同じ人間なのだな、と安心した。また、兄弟がこんなに多いと知らなかったので、トシの聡明さや、清六の穏やかさが、賢治と対比されてより浮き上がってきた。 それぞれの人物にそれぞれの良さがあるから、より「家族らしさ」のような、自分達との共通性を見出せた。
門井 慶喜
普通の中学生だった昇と美加子は、同じように日々を過ごし、高校生になるはずだった。 しかし、美加子だけが国連宇宙軍に選抜されると、2人を繋ぐツールはメールだけになる。そのメールも、美加子がどんどん遠くに行くにつれて、言葉の往復にも時間がかかるようになる。 この本を読むと、太平洋戦争などの戦時下の暮らし、兵隊の闘い方をなぞっているように感じた。 「タルシアン」という新種の脅威が宇宙空間に出現し、それを撃退するために、国家予算の殆どがタルシアン関連事業に費やされていた。これは、戦時下の質素倹約を求められた暮らしに似ていると思う。 また、美加子は、最初こそ戦闘を「部活のよう」と例え、楽しんですらいたが、段々と自らの意思とは関係なく戦わされたり、逆に退避させられたりする。動員された学徒たちも、同じような気持ちだったのだろうか。 もし新海誠が、「戦争」をコンセプトにこの小説を書いたのなら、これは秀逸だと思う。 「戦争」という重苦しくなるテーマを、SFと、青春、恋愛と絡めて書くことで、心情を理解しやすくなる。途中の美加子のセリフで、私は「まるで戦争のようだ」と気が付いた。その時、「あの時の子供たちもこのような気持ちだったのかな」と思った。 やはり国家は強くて、国民は弱いのだなぁと思った。
大場惑/新海 誠
会社員や、エンジニアや女装をする男性、それぞれの人を乗せた夜の満員電車が、事故によって運転を見合わせた。 電車が止まった瞬間は、途方もない不安に襲われるが、動き出したら一様に安堵して、駅に着いたら、またそれぞれの物語が始まる。そんな、色々な人の「人生の一部」を描いたヒューマン・ミステリー。 印象に残ったフレーズ 「倒れずに立っていれば必ずゴングがなる」 納期に追われたITエンジニアが、社長からの業務命令で得られた休日に訪れた、ボクシングジムでトレーナーに言われた言葉。 攻め込まれて危ない時も、自分の攻撃が何一つ上手くいかない時も、手立てがなくなればとりあえず立ってさえいればいい。何も成果は上げられなくても、人を動かせなくても、とにかく倒れないように立っていれば、必ず終わりはくる。この本中で、人身事故が多く出てきたから、「死んじゃいけないよ」というメッセージが込められていると感じた。
阿川大樹
両親を亡くし、祖父に育てられた瞬一は、祖父の諭しによって東京に出て生活する。 それから早四年、荒川沿いのアパートに暮らし、日雇いの引越しのバイトをしながら食い繋いでいた。隣人との温かい交流の中で、孤独だった瞬一は、強く、優しく成長していく。 印象に残ったフレーズ 「両親の記憶はあまりない。でも両親には僕の記憶がある。充分だ」 あまりに幼い頃に両親を亡くし、両親の記憶がないことを悔やむ瞬一に、隣人・敦美が言った言葉。自分も、誰かを憶えておくことも大切だろうけど、誰かの記憶に残るような、大切な人になりたいと思った。 この本の、人と人との関わりが好きだ。自分自身も東京に出ることに憧れがあるから、この本で東京の、いい意味で「らしくない」一面を見て、こんな暮らしもいいな、と思った。瞬一は、多くの人と良好な関係性を築いていたが、それは瞬一の、人との距離感を測ることに長けた性格が役に立っていると思う。彩美が最初は虫を退治してくれるだけの関係だった瞬一に心を許していく描写が、いいなーと思う。 それから、帰れる場所がある、ということは、尊いことなのだと感じた。瞬一にとって、地元の片品村はもちろんのこと、筧ハイツも紛れもなく彼の「故郷」だと思う。 人は時として-照士のように-人を怯えさせるが、時として本当に暖かいな、と思った。適度な距離感だと、時にその温かさが身に染みることがあるから、周りにいる人は大切にしなければならないと思う。
小野寺史宜
もし、死ぬほど忘れたい記憶があったとして、それを消してしまうのは正しいことだろうか。 印象に残ったフレーズ 「記憶をなくすってことは、後悔するチャンスさえ与えられないってことだろ?」 遼一の、記憶屋に対する考え方がよく分かる言葉だと思う。自分も、どちらかといえば記憶屋には反対だから、この言葉に共感した。 遼一は、記憶を消すことは「逃げ」だと考えているのだろうか。どんなに辛い記憶があっても、それを後悔して、受け入れて、前に進まなくてはいけないと、考えているのではないか。 でも、真希の言っていたことも分かる。どうしても消したい記憶があるとして、それを消すことが自分にしかできないことなのだとしたら、その人を助けられる唯一の存在として、助けてやりたくなるかもしれない。でも、記憶を消した後に、また同じような経験をして、元に戻ってしまったら…と考え、ためらい、悩む気持ちも分かる。 でもやっぱり、記憶を消すのはよくないと思う。遼一が言ったように、忘れたい人は人のことを忘れられるかもしれないが、忘れられたくない人が、人に忘れられるのは、相当な苦痛を伴うと思う。 記憶を消されるというのは、自分だけの問題ではなくて、周りの人を巻き込んでしまうということが分かった。
織守きょうや
かつて、不可解に記憶を失うという経験をしていた夏生は、記憶屋を追う猪瀬と共に、記憶屋を探す。 記憶を消すのはいいこと?悪いこと? 印象に残ったフレーズ 「誰かを悲しませないために、我慢しなきゃいけないなんて、だから、どんな辛い記憶も抱えたまま生きていけなんて」 「相手の中から、自分の存在が消えてしまうというのは、そういうことだ。 これまで積み重ねてきた時間が、築いた関係性が一瞬で無になる」 一つ目は、記憶屋肯定派の夏生が、猪瀬の考えに疑問を呈す場面。「記憶を消すというのは、周りを巻き込む行為だから、よくない」という猪瀬の意見に対して、自分自身も、記憶を消さなければならないほど追い詰められているのだから、正当防衛だという意見だ。人のことを想うあまり、自分を殺しすぎてはいけない。本当の意味で記憶に殺されてしまう。 一方二つ目は、夏生が、知人の記憶を消されたという猪瀬の苦しみに思いを馳せ、自分と、親友、芽衣子の関係性と合わせて、新たな考えを得る場面。夏生自身も、芽衣子に、自分を忘れられたら…と思うとゾッとした。私も、友達に忘れられるのは、とても苦しく、辛いと思う。 「記憶を消す」という行為は果たしていいことなのだろうか。猪瀬も、「場合によっては、それ(記憶を消すこと)が最善、唯一の解決法であることもある」と言っている。それでも、忘れられたくない人に忘れられたり、絶対に忘れたくない記憶を取り上げてしまったりするのは良くない。 一巻で遼一も言っていたように、「後悔する」のは、未来へ進む第一歩だ。それから逃げてはいけない。つまり、軽い気持ちでそのことを「なかったこと」にしてはいけない。 友達に忘れられるのは辛いし、友達を忘れるのも寂しい。だからこそ、そんな残酷な手段を選ぶ前に、真っ向からぶつかって、話すことが大切だと思う。
2巻の続き。芽衣子がますます疑われ、夏生も、記憶屋と関わりたくないと思い始める。 印象に残ったフレーズ 「とりかえしのつかない間違いを犯して、相手にそれを忘れてほしい。一人の記憶をほんの少し消すだけでいい。それだけでやりなおしができるのに。そういう状況で、自分にそうできる能力があったら-誰にも知られずに、そうすることができるとしたら。 その誘惑に抗って、正義を貫けるなんて、嘘でも言えなかった」 「助けられる相手を助けてあげることが、悪いことだとは思わない」 夏生が、記憶屋について考えるシーン。 「記憶屋だって人間だ」という猪瀬の意見に、「確かに記憶屋も間違うことはある」という気持ちと、「それでも、人助けは悪いことではない」という本心とが葛藤する場面だ。 本当に複雑だと、共感した。 猪瀬の意見も、夏生の気持ちも分かる。 だけれど、やはり記憶屋の存在は、本来「異物」だ。後悔しても、自分で受け止めて、時に人に相談して、きちんと前に進まなければならない。だから、記憶を消す、という方法は存在してはならないのだ。 それでも、誰かが誰かの「心の拠り所」にならなければならない。でないと、きっと受け止めきれなくなってしまう。 誰だってそうだ。「記憶屋」という無茶な超能力に頼るのではなく、人間として、人間らしい方法で、一歩一歩解決していくのが大切だと思う。
7歳の少女を殺害した、14歳の少年。事件から時が経った今、ある町に彼が住んでいるという噂が広まった。 加害者、売れない作家、彼をアイドルのように崇拝する少女、その少女に殺された娘を重ねる母親… それぞれの立場が、一つの場所で重なり合う。 何というか、狂気的な作品で、自分には理解し難い気持ちだなと思った。 そもそも殺人者を「ハルノブ様」と崇める気持ちがよくわからない。それでもって、家庭環境も、みんなそれぞれに複雑で、考えさせられる部分もあったけれど、やはり暗すぎて、理解することのできない作品だった。 最後に、晴信改め倫太郎と莢を殺したのは、光の母だろうか。今日子は、どの段階でどんなふうに関わっていたのだろうか。もう一度読めば分かるかもしれないが、再読したくなるような魅力はないな、と思う
窪 美澄