コンビニさんの話
ハッピーエンドでよかった。
マニュアル通りにコンビニ店員として働く古倉さん、
「なんとなくコンビニの音が聴きたくなり、ミホの家の帰り、夕方の店に顔を出した。」という古倉さんの本能が見られたせたシーンはホッとした。
収まるべきところに収まった安堵。コンビニ人間として生き生きと表現された古倉さんの姿が、清々しいラストシーンに繋がる。
コンビニは生きている。変わるけど、「変わらないね」と言われる。生きているコンビニが、なにを求めているのか、わかる。なにが一番大事なのかわかる。求められている最適解がわかる。コンビニさんのために生きている人間、コンビニを完全なものにするために歯車になる。結果は数字で表れる。売り上げ、発注、目標を達成。白羽や妹の影響で一度は変化を求めていた古倉さんが、最後は変わらずコンビニに戻っていく。社会の歯車の一員になると言うことは、古倉さんのことを言うのかもしれない。
法律というあいまいなルールで生きている現代人に対し、いわゆる「社会のルール」がマニュアル化されていないことで困惑する人もいる。なにを指針に人は生きるのか?なにが自分にとって(人類にとって)合理的か?なにが「普通」なのか?古倉さんの目線を、世界の捉え方を通じて、最近よく耳にする「多様性」を考えることができる。