子供もなく職にもつかず、安楽な結婚生活を送る専業主婦の私はある日、自分の顔が夫の顔とそっくりになっていることに気付く。「俺は家では何も考えたくない男だ」と宣言する夫は大量の揚げ物づくりに熱中し、いつの間にか夫婦の輪郭が混じり合って…
他人同士が身内になる「夫婦」の不可思議を絶妙洒脱に描いた。自由奔放な想像力で日常を異化する。
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蛇ボールの話、知ってます?二匹の蛇がね、相手のしっぽをお互い、共食いしていくんです。どんどんどん、同じだけ食べていって、最後、頭と頭だけのボールみたいになって、そのあとどっちも食べられてきれいにいなくなるんです。なんか結婚って、私の中でああいうイメージなのかもしれない。
この話にはひそかに感心させられた。というのも、これまで私は誰かと親しい関係になるたび、自分が少しずつ取り換えられていくような気分を味わってきたからである。相手の思考や、相手の趣味、相手の言動がいつのまにか自分のそれにとってかわり、もともとそういう自分であったかのように振る舞っていることに気づく度、いつも、ぞっとした。やめようとしても、やめられなかった。おそらく、振る舞っている、というような生易しいものではなかったのだろう。
男たちはみな、土にしみ込んだ養分のように、私の根を通して、深いところに入り込んできた。新しい誰かと付き合うたび、私は植え替えられ、以前の土の養分はすっかり消えた。それを証明するかのように、私は過去に付き合ってきた男たちと過ごした日々を、ほとんど思い出せないのである。また不思議なことに、私と付き合う男たちはみな、進んで私の土になりたがった。そして最後は必ず、その土のせいで根腐れを起こしかけていると感じた私が慌てて鉢を割り、根っこを無理やり引き抜いてきたのであった。
土が悪いのか、そもそも根に問題があるのか。
旦那と結婚すると決めた時、いよいよ自分がすべて取り替えられ、あとかたもなくなるのだ、ということを考えなかったわけではない。
が、結婚して四年たった今も、私は旦那と言う土から逃げ出そうとはしていない。蛇ボールの話を聴かされて私はこれまでずっともやもやしていたことが、ようやく腑に落ちたと感じた。おそらく私は男たちに自分を食わせ続けてきたのだ。居間の私は何匹もの蛇にっ喰われ続けてきた蛇の亡霊のようなもので、旦那に飲み込まれる前から、本来の自分の体などとっくに失っていたのだ。