励起 下
伊藤憲二
みすず書房
作品紹介、あらすじ
1930年代、理化学研究所・仁科研究室は規模を増し、宇宙線観測で海外の研究者と競りながら成果を上げ始める。国内の研究者ネットワークを拡充し、海外との情報交換も活性化させていく。下巻ではさらに、湯川秀樹の中間子論の登場、巨大実験の時代の幕開けとサイクロトロンの建設、そして、仁科の名を永久に原爆に結び付けた軍事研究(二号研究)を経て、敗戦・占領期の破壊と混乱を見る。そこから日本学術会議や種々の研究インフラを再建して科学界を国際的な研究コミュニティーに復帰させるために、仁科は文字通り粉骨砕身した。本書は朝永振一郎をして「超人的」と言わしめた仁科の仕事の全容を浮かび上がらせるものである。そのために著者は、自身が発見した新資料も含め、仁科関係文献・書簡やGHQ関連文書などを渉猟し、この時期の歴史的事象を精細に再構築している。20世紀の日本の科学史を語るうえで避けて通れない書になると同時に、国内の科学者に関する“科学史的伝記”の文化を切り拓く意味でも、画期的な著作である。
感想やレビュー
仁科芳雄を中心に、20世紀前半の世界と日本の科学技術の勃興をつぶさに描く。強電を学び、渡欧してボーアを始めとする量子力学のファウンダー達との交流を深め、帰国後はひたすら土壌をつくり、湯川、朝長のみならず、幅広い分野のリーダーを育てる。戦後は理研の再興に忙殺され、60歳で他界。スケールの大きさと、その場その場でのぎりぎりの選択が拮抗している。 この大著は、高く評価されるべきである。