Bookstand
Bookstand
まほり 下(2)

まほり 下(2)

高田 大介

KADOKAWA

Amazonで詳細を見る

作品紹介、あらすじ

上州地方のフィールドワークを進める裕と香織は、土俗的な因習に関する膨大な古文書と格闘する。だが決め手をつかめぬまま、夏が終わろうとしていた。一方、山深い郷を独自に調査していた少年・淳が駐在に補導されてしまう。淳は閉じこめられた少女を救おうとしていたのだ。淳と裕、それぞれの調査が交差する時、事態は大きく動いた!読書界騒然、民俗学ミステリーにして青春ラブストーリー、感動のラスト。超弩級エンタメ!

感想やレビュー

高田大介「まほり 下巻」 高田先生の講義を聞いているような気になってくるほど、すごい考察であるし、難解。 日本書紀にしろ何にしろ記述された資料には、書いた者の時代的背景や人間関係に恣意性があるため、事実を記載したものなど存在しないし、それを読む人間も恣意をもって読むから、可能な限り全ての恣意性を排除して読むべきである。 民俗学とはなんと量子力学に似た世界なのだろうか。ある物体を観測するためには、光を当てたり叩いて音を聞いたりと、観測対象に何か影響を与えないと観測することができない。でもその行為が観測対象に影響を与えるから本当に純粋な姿は見ることはできないという。 でもこれって量子力学でも民俗学でも他の全てのことに当てはまるんだよね。完全な客観視などできないというね。 今回新たに気付かされたのは、史実を記述した資料などで事実を追うよりも、社会的に定められた法や規則などから事実が浮かび上がってくることもあるということ。 なるほど、周りに何が起こっているかを観測することで、中心にある事実が浮かび上がってくるのか。 そしてそれらから導き出される事柄から恣意性を可能なだけ排除し、因果関係などの邪推も除き、事実だけを論理的に組み上げた時に現れる真実。 「まほり」 その本当の意味が現れたときは鳥肌立った。 これだから高田大介はやめられない。 苦労して講義を聞き(読み)続けた甲斐はあったよ。 ああ、人生が何周もあるなら言語学の道と民俗学の道も量子力学の道もいってみたいなあ。人生50周ぐらいいるわこりゃ。

App StoreからダウンロードGoogle Playで手に入れよう